by 藤井厳喜
フーヴァーとマッカーサーの会談で何が話されたのか
ここでちょっと時計の針を先に進めて、フーヴァーの本で私が一番おもしろいと思った場面を振り返ってみようと思います。
フーヴァーが、1946年(昭和21年)5月の上旬に来日したときのことです。
フーヴァーが来日した目的は、敗戦国への食糧援助でした。時のトルーマン大統領から依頼されて日本、ドイツの視察に来たのです。彼は食糧援助を人生のテーマのひとつにしていて、商務長官在任中には、ロシア革命直後の混乱により飢饉で苦しんでいるロシアや、第一次大戦直後、飢餓に直面しているドイツの人々に食糧支援を提供しています。
ロシア援助に関しては、共産主義者を助けるのかという批判もありましたが、フー ヴァーは、「2千万人が飢えている。彼らの政治が何であっても彼らを食べさせるべきである」と反論しています。アメリカというのは常に、食糧が過剰生産の国ですから、これを何とか食糧援助に回して助けてあげたいと考える人がいるんですね。
敗戦後の日本は、ご存知のように大変な食糧不足でしたから、食糧状況を視察に来ていたフーヴァーは、「食糧の輸入がなければ、日本国民の食糧の供給量は、ドイツの強制収容所並みからそれ以下になるだろう」と訴えて、マッカーサーに食糧援助を進言しています。
そして、マッカーサーに会ったとき、フーヴァーは第二次大戦について話し合っています。特に日本との戦争ですね。アメリカから見て太平洋戦争とは何だったのか、という話をします。その会談が、 年の5月4日~6日と3日間に渡って続きました。
「戦争を始めたいという狂人の欲望」が日米戦争を引き起こした
このとき、フーヴァーが率直に言います。日本との戦争のすべては――ということは太平洋戦争は――戦争に入りたいという狂人の欲望であった、と。
ルーズベルトのことをはっきりマッドマンと書いてあるんです。狂人の欲望、つまりあいつは気が狂っていて、気が狂っていると言っても精神異常ではなくて、本当に戦争をやりたくてしょうがない、そういう意味で狂人だ、と言っています。その欲望の結果が、今度の日米戦争になったんだと、私(フーヴァー)が言うと、マッカーサーは同意した、とはっきり書いてあります。
ということは、日本が始めた戦争ではない、日本は悪くなかったということです。
日本の外交政策がアメリカと相容れなかったことはあるでしょうが、日本が始めた戦争ではない、ルーズベルトが始めた戦争であり、ルーズベルトが日本を追い詰めてやった戦争であるということです。マッカーサーはその通りだと答えました。非常にシンプルに「He agreed」と書いてあります。
「私(フーヴァー)は、ダグラス・マッカーサー大将と、1946年5月4日の夕方に3時間、5日の夕方に1時間、そして6日の朝に1時間、2人だけで話をした。……私が、日本との戦争のすべてが戦争を開始したいという狂人(F・ルーズベルト) の欲望であったと述べたところ、マッカーサー大将も同意した。 また、私は続けて次のように言った。『1941年7月の日本に対する金融制裁は、 挑発的であったばかりではなく、その制裁が解除されなければ、自殺行為になるとわかっていても日本が戦争をせざるを得ない状況に追い込んだのだ。制裁は殺戮と破壊以外のすべての戦争行為を実現するものであり、いかなる国といえども、品格を重んじる国であれば、我慢できることではなかった』と述べた。私(フーヴァー)がそう(上の制裁のことを)言うと、この私の発言にもマッカー サーは同意した」
これは、1941年(昭和 年)7月末に日本軍が南部仏印に進駐、サイゴンへ入城したことへの報復として、アメリカが対日石油全面輸出禁止の制裁強化に踏み切ったことを指しています。これにより、日本はより窮地に立たされることになりました。
マッカーサーもわかっていたんですね。それじゃあ、何で東京裁判をやったんだよと言いたくなりますが、これはこれで国の政策だから、ということなんでしょう。そんなことはわかっているけれども、トルーマンの意志やアメリカ世論、他の戦勝国の意向もあり、占領政策としてやったということですね。
「ルーズベルトが犯した巨大な誤りは、1941年7月、つまりスターリンと隠然たる同盟関係となったその一か月後に、日本に対して全面的な経済制裁を行ったことである。その経済制裁は、弾こそ撃っていなかったが、本質的には戦争であった。ルーズベルトは、自分の腹心の部下からも、再三にわたってそんな挑発をすれば、遅かれ 早かれ、日本が報復のための戦争を引き起こすことになる、と警告を受けていた」
経済制裁がすでに戦争の開始であるというのは、当時の国際法上からも認められていた原則だったのです。
ちなみに後の51年5月、アメリカ上院の軍事外交合同委員会でも、マッカーサーは 同様の発言を行っていて、「日本の戦争は自衛戦争であった」ことを証言しています。 日本は自らの防衛のために戦争に向かわざるを得なかったんだという、日本に対するまっとうな意見を述べています。マッカーサーの発言に耳を傾けましょう。
「日本人は、工場を建設し、多くの優秀な労働力を抱えていましたが、原料を産出することができません。日本には、蚕を除いては、国産の資源はほとんど何もありません。彼らには、綿が無く、羊毛が無く、石油の産出が無く、スズが無く、ゴムが無く、そ の他にも多くの資源が欠乏しています。それらすべてのものは、アジア海域に存在していたのです。 これらの供給が断たれた場合には、日本では、1000万から1200万人の失業者が生まれるであろうという恐怖感がありました。したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです」
また、同じ委員会でマッカーサーは次のような発言もしています。
「太平洋において米国が過去100年間に犯した最大の政治的過ちは、共産主義者をチャイナにおいて強大にさせたことだと私は考えます」
マッカーサーが、上のような考え方に到達するのは、朝鮮戦争が起きて、日本の地政学的重要性を理解してからだと言われていました。
アメリカが日本を占領してみて初めて、過去半世紀にこの地域で日本が直面し、対処してきた問題と責任をアメリカが代わって引き受けなくてはならなくなりました。共産主義の脅威と最前線で相対峙しなければならない、それまでの日本の立場に立ってみると、チャイナに対しても、日本がやったようにやらなければならないという結論に達したとされています。しかし、フーヴァーによれば、それは間違いだったのです。
実際のところ私は、マッカーサーは初めからそんなことはわかっていたと思います。だけど軍人ですから、上からの命令があったら、どこの国とでも戦わなければいけなかったということです。
最大限譲歩した和平交渉は、拒絶された
1941年(昭和16年)の春から、日本はとにかく日米交渉、対米交渉で非常に苦労していましたなんとかして日本の国益もメンツも守りながら、アメリカと戦争しない方向を探ろうと大変な苦労を続けていました。
同年7月から第三次近衛内閣を組織していた近衛文麿首相は、駐日アメリカ大使と9月に会談します。そこで、ルーズベルト大統領と直接会って、日米首脳会談でなんとか日米戦争を回避したいと強く訴えました。
しかし、アメリカは妥協ではなく力によって日本を封じ込めるべきだとして、アメリカ国務省は日米首脳会談を事実上拒否する回答を日本側に示しました。
フーヴァーはこうも書いております。「1941年9月の近衛首相の和平提案は、東京にいる駐日アメリカ大使も、駐日イギリス大使も、祈るような気持ちでその実現を期待していた」。それにもかかわらず、ルーズベルトはこれを拒絶しました。なんでなんだと、フーヴァーもそれを知ったときの感情を率直に綴っています。
この和平提案は、アメリカの外交目的のほとんど全部を達するようなものでした。日本はもちろん満州を放棄するとは言っておりませんが、満州のことについてもアメリカの権益に便宜を図ってもいいという打診があったとフーヴァーは書いています。ですから、今で言えば日本がほとんどベタ降りしているようなものだったのです。
そして、フーヴァーは、戦争は日本が始めたんじゃない、日本は戦争を避けたかったんだとも言っています。何でこれ(近衛和平案)を受けられないんだという話です。これは、全く常軌を逸していると、フーヴァーは批判しているわけです。
「近衛首相が(F・ルーズベルト大統領に)提案した条件は、満州の返還を除く、す べてのアメリカの目的を達成するものであった。しかも、満州の返還ですら、交渉して議論する余地を残していた。皮肉なものの見方をする人ならば、ルーズベルトは満州というこの重要ではない問題をキッカケにして、もっと大きな戦争を引き起こしたいと思い、しかも満州を共産ロシアに与えようとしていたのでは、と考えるであろう」
開戦を回避する可能性がもうひとつあったのは、41年11月、天皇陛下が日米交渉を3カ月凍結しようと提案したときだったでしょう。
天皇陛下のお考えとしては、いくら日米交渉をやっても、現状では行き詰まっていて、どうしようもない。来年の春まで3カ月間、日米交渉を凍結して、また3カ月後の来年2月からもう一度交渉を始めようじゃないか、という提案です。そうしたら、国際状況がいろいろ変わってきているから、お互いの考え方も変わるんじゃないか、ということだったろうと思います。
「日本の天皇陛下は、1941年11月に駐日米国大使を通じて、行き詰まった日米交渉において3か月間の冷却期間をおいてはどうかとの提案をされたが、ルーズベルトはこの提案をも拒否した」
実際それをやっていたら、おそらく日本はアメリカと戦争をしなかったと考えられます。というのも、12月ぐらいからナチス・ドイツが対ソビエト戦線で負け戦に突入するからです。
日本の頼みの綱は、ドイツだったわけですから。ドイツが劣勢になったと知ったら、どんなに反米主義の人たちだって、ドイツと一緒にやろうという話にはならなかったでしょう。つまり、対米強硬論者は後ろ盾を失って、真珠湾攻撃をやることも、対米戦争をやることもなかったのではないでしょうか。
しかし、残念ながらこの提案もまた、ルーズベルトによって拒否されるのです。
日本の知らない裏側で世界はつながっていた
こういう国際関係が複雑なとき、日米関係だけを見ていても見誤ってしまいます。やはり当時の世界情勢全体を見る必要があります。先ほども書きましたように、ルーズベルトのもとには蔣介石、チャーチル、スターリンのところからそれぞれ密使が来ていて、とにかく早く参戦してくれと催促しているわけです。それでは日本は、それに対抗できるようなことをしていたのか、対米外交はどうだったのかと見ていくと、実にお寒い状況なのです。
それから、今にしてみるとやはり非常にまずかったなと思うのが、1940年(昭和15年)の日独伊三国同盟です。この三国同盟さえなかったら、ルーズベルトが日本をいじめても対ドイツ戦に参戦する口実にはならないわけです。三国同盟があったからこそ、それを逆手に取られてやられてしまったのです。
デジタル・ダイジェスト版はここまでです。
続きは本でお楽しみください。
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