by 藤井厳喜
第2章
日米戦争を起こしたのは誰か?
フリーダム・ビトレイド』でフーヴァーは何を伝えたかったのか
ここからは再び、フーヴァーの本『フリーダム・ビトレイド』に戻って日米戦争についての話をします。
フーヴァーは非常に単純率直な人で、歯に衣着せず書いていて、私も読んでいて非常に驚きました。
第二次世界大戦というのは、アメリカ人にとっては、アジアよりもヨーロッパのほうが大きな戦いですから、この本でもヨーロッパにおける戦争に関する記述が非常に長くなっています。したがって、日本に関する部分は、決してメインではありません。しかし、日本に関して、日本人が知っておいたほうがいいと思う部分、ぜひ読んでほしいと思うところが多々ありますので、これを抜き出して、これから論じていきたいと思います。
なお、これまでも日米戦争におけるフランクリン・ルーズベルト大統領の責任を主張する人たちはいました。例えば、アメリカ歴史学会の碩学チャールズ・A ・ビーアド博士らは、日米戦争の開戦責任は、ルーズベルト大統領にあると主張しています。ですが、ビーアド博士らの主張は、「修正主義」という悪しきレッテルを貼られ、アメリカの言論界では葬り去られてきたという経緯があります。
ルーズベルトの前任の元大統領であるフーヴァーの歯に衣着せぬ発言には、比較にならぬ重みがあります。もはや「修正主義」の一語で真実の歴史を隠蔽することは不可能になったと言えるでしょう。
フーヴァーは1874年(明治7年)に生まれ、1964年(昭和39年)に90歳で亡くなっています。一方、ルーズベルトは1882年の生まれで、終戦前の1945年4月12日に亡くなりました。フーヴァーの方が8歳年上ですが、同時代人と言っていいでしょう。しかも、フーヴァーは元大統領ですから、アメリカ政治の一番の中枢に関わって、アメリカ政治の一番奥深い部分を知っている人間です。
フーヴァーは保守思想の持ち主であり、大変愛国的な人間です。アメリカの愛国者として、非常に信頼のおける人間であり、極めて誠実な人物と言っていいでしょう。ただ彼は1929年の大恐慌に有効に対応できなかったことで批判され、忘れられた存在になっていました。
そのフーヴァーがルーズベルトと同世代の人として発信したかったことが『フリー ダム・ビトレイド』としてまとめられたのです。アメリカの愛国者の立場から徹底して、「ルーズベルトは売国奴だ」とはっきり言い切っています。やる必要のない戦争をやり、その結果として世界的に共産主義の進出を許し、アメリカの中にも広めてし まったということで、フーヴァーはリベラルな伝統そのものの根底のところ――現在のアメリカの中の、オバマ、ヒラリーにつながるような――を徹底して叩きました。フーヴァーという同世代の元大統領が、愛国者の立場から徹底的にルーズベルト政権を解剖して、激しく批判したというところが、学者の仕事とは違うリアルな重みを感じさせるところです。
日本に対する宣戦布告なき戦争が、静かに始まっていた
1941年(昭和 年)7月にアメリカは、日本に経済制裁をします。日本ではよくABCD包囲網と言われます。当時はそういう言葉はなかったのですが、後年そう言われるようになりました。ABCDというのは、対日経済制裁をしていたアメリカ合衆国(America)、イギリス(Britain)、中華民国(China)、オランダ(Dutch)の各国の頭文字を並べたものです。
特にアメリカによる経済制裁は、在米資産凍結、石油の禁輸という厳しいものでした。フーヴァーは『フリーダム・ビトレイド』の中で、これ(41年7月の経済制裁) こそ「日本に対する宣戦布告なき戦争であった」のであり、「アメリカを戦争へ誘導していったのは他ならぬルーズベルト(大統領)その人であった」と書いています。
そして、「それは、これまで明らかにされた冷静な歴史の光に照らしながら、1938年から1941年の期間を客観的に観察すれば、自ずと明らかである」と、はっきり言っています。要するに、ルーズベルト大統領こそが日本を戦争に導いていった張本人である、日本はそれに乗せられてしまった、ということを主張しているのです。
なぜ、ルーズベルト大統領は戦争を望んだのか
では、なぜルーズベルトは日本との戦争を望んだのでしょうか?
1939年(昭和 年)9月、ドイツがポーランドに侵攻したところから第二次大戦は始まりました。この時点では、日本もアメリカも開戦していません。
ところが、40年、ドイツ軍はまたたく間にパリを占領、フランスを降伏させます。さらに8月からはドイツ空軍がイギリスの本土に空爆を開始するなど、イギリスはドイツに本土上陸寸前まで追いつめられていました。そして、 年6月にドイツ軍は独ソ不可侵条約を破棄してソビエト連邦に侵攻、ソ連もどんどん押し込まれていきました。 年中ごろには、ドイツ軍は、ヨーロッパの大半と北アフリカの一部を占領するなど圧倒的な優勢を保っていたのです。
それからもうひとつ重要なのは、中華民国です。日本軍の攻勢により、首都南京は37年12月に陥落、中華民国政府は四川省の重慶への疎開を余儀なくされるなど、どんどん追いやられていました。
イギリスのチャーチルも、ソ連のスターリンも、中華民国の蔣介石もみな、とにかく早くアメリカに参戦してもらいたかったのです。アメリカは、すでに世界最大の工業国となっていましたから、その兵器生産工場がフルに回転してくれなければ、アメリカが兵隊を送ってくれなければ、彼らは各個撃破でやられてしまうというところまで来ていました。ですからみな、ルーズベルト政権に対して、とにかく早く第二次大戦に参加してくれ、ということを一生懸命働きかけていたのです。
スターリン、チャーチル、蔣介石には、ルーズベルトとの深い関係があった
アメリカ参戦への働きかけについては、本が何冊も出ているくらい、いろいろな工作がなされていました。実はこの3人がそもそもルーズベルトにとっては近しい存在でした。
ルーズベルトはソ連が大好きですから、大統領に就任してすぐにソ連を承認しているくらいです。冷酷な独裁者ヨシフ・スターリンをアンクル・ヨシフ(アンクル・ ジョー)と呼ぶほどで、スターリンには親しみを持っていました。ルーズベルトの側近やブレーンにも、ソ連のスパイやシンパが山のようにいました。これは秘密でも何でもない、公然たる事実です。
ルーズベルトは大恐慌の経済危機を克服するために、ニューディール政策を行います。これは伝統的な自由主義経済の原則を大幅に修正し、連邦政府が積極的に経済に介入することを基調としたものでした。急進的な社会改革の中身を見れば、それが計画経済そのものであって、彼の社会主義への志向の強さがうかがえます。
ルーズベルトは、社会主義こそが新しい時代のトレンドであって、アメリカも長期的には計画経済の方向に行くべきであると考えていました。だから、この点でスターリンと世界観が一致していました。
それからルーズベルトはチャーチルとも仲が良く、早くからアメリカの参戦を訴えていました。チャーチルとルーズベルトは、太平洋戦争前の1941年(昭和16年)8月に大西洋憲章を調印しますが、その時点でアメリカの参戦について話し合っていたことが、明らかになっています。
そして、アメリカのルーズベルト政権を誰よりも頼りにしていたのが、中華民国の蔣介石です。もう、このままでは日本にやられてしまうという思いがありましたから、アメリカに早く参戦してもらいたいわけです。
そのために、蔣介石の夫人である宋美麗をアメリカに送り込みます。この人は、浙江財閥の当主(宗嘉樹)の三女でした。その財閥の金をアメリカのあちこちにばらまいてコネクションを作っていきます。ルーズベルト大統領やその妻エレノアと親密な関係を構築したのはもちろん、アメリカ全土をまわって自ら英語で演説し、抗日戦への援助を訴え続けました。広報活動を通じて、外国の国民や世論に直接働きかける外交活動をパブリック・ディプロマシーと言いますが、宋美麗は蔣介石のスポークスマンとして、このパブリック・ディプロマシーの達人であり、アメリカの世論を上手に取り込んでいきます。
チャイナとキリスト教宣教師の奇妙な関係
このとき、蔣介石はアメリカ国内のキリスト教会を煽って、「日本は悪者であり、チャイナはその可哀想な犠牲者である」というプロパガンダをアメリカ中に広めています。
実は、アメリカの教会関係者にはチャイナに対する強い思い入れがありました。アメリカは19世紀からチャイナにキリスト教布教のために宣教師を送り続け、お金を使い続けてきていました(なお、キリスト教がチャイナへ伝来したのはもっと古くて、 7世紀の唐の時代からと言われています)。いくらやっても本心からキリスト教徒に改宗する人はちっとも増えないのですが、アメリカ人宣教師は非常に熱心に布教し続けていました。
ご存知のように、日本にもイエズス会のフランシスコ・ザビエルの時代から宣教師は来ていましたが、クリスチャンの数が増えることは一貫してありませんでした。なぜなら、日本人にとって、キリスト教は特に必要なかったからです。みな道徳心もあるし、倫理感もあって、独自の文化、伝統もしっかりしています。要するに、キリスト教がなくても日本人はちゃんと暮らしていけるわけです。日本では、カトリックもプロテスタントもキリスト教徒の数はだいたい一定で、1%以上には増えないのですね。
私の記憶が正しければ、1990年代だったと思うのですが、バチカンが、日本を重点布教地区から外したのです。日本は、ザビエルが来てからずっと重点布教地区だったらしいのですが、四百数十年ぶりにその方針を変えたというのです。日本でいくらやっても無駄だということにやっと気づいたということなのでしょう。
キリスト教の宣教師で日本に来た人の中で、そのご子息が日本のことを嫌いになるケースが多いと言われます。というのも、「お父さんが一生懸命やっているのに、 ちっとも信者が増えない」ということが原因なのだとか。それで、チャイナに行くと、 形のうえでは信者数が増えるのです。というのも、食べることもできない人が多い国ですから、教会に行けば食事にありつけるということで、人がやって来るというわけなのです。
また、日本人は、何もキリスト教徒にならなくても生きていくのに困らないので、宣教師からしたら日本で布教活動をしても使命感を感じられなくておもしろくありません。真面目でちゃんとした生活をしている人を見ても燃えないのですね。それで、どんどんチャイナに行くわけです。
だから、チャイナに行くアメリカの宣教師は、モチベーションが高くなっています。チャイナの人たちは、もう本当に貧しくてだらしなくて、神の救いを求めている人たちがたくさんいる。そう見られていました。そういう人たちを目の前にすると使命感に火が点くのが、アメリカの宣教師なのです。殺されても殺されても、チャイナの奥地に行ったりして、一生懸命布教するのです。
こうして親中反日になった教会関係者が多かったのです。アメリカ国内では、教会の聖職者には極めて大きな影響力があります。地方には、素朴なグッド・クリスチャ ンの信者が大変多くいます。その人たちが、聖職者から「日本人は悪いやつらだ」「チャイニーズはかわいそうだ」という話を聞かされていると、そんな嘘の話でも疑いを持たれることなくアメリカ社会に浸透していきました。
ルーズベルト家は、チャイナ貿易で財を成した家系だった
ところで、ルーズベルトは、フランクリン・デラノ・ルーズベルトが本名です。母親サラ・デラノの家系であるデラノ一族は、 19世紀からチャイナ貿易で財を成したファミリーでした。
彼らは、チャイナから苦力と呼ばれる労働者をいっぱい連れてきて、アメリカで大陸横断鉄道建設の労働者として酷使しました。奴隷同然の過酷な労働を行わせるために、阿片が売られていたと言われています。阿片とチャイニーズ労働者の輸入に関わっていたのが、ウォーレン・デラノという、フランクリンの祖父でした。
このデラノ家の財産を相続したので、フランクリン・ルーズベルトは大変な大金持ちでした。彼の家には、チャイナの古い美術品がいっぱいあったそうですから、チャイナびいきになるのは、ある意味、当然だったと言えるでしょう。
ヨーロッパの戦争でアメリカン・ボーイズを死なせるな
こうして、ルーズベルトのところには、三方からアメリカに早く参戦してほしいと矢の催促が来ていました。
ルーズベルトは、1940年(昭和 年)の大統領選挙で三選を果たしますが、それはルーズベルトがすでにヨーロッパで始まっていた戦争にアメリカを介入させないと国民に公約したことも一因でした。
ルーズベルトは「攻撃を受けない限りアメリカは絶対に参戦しない」と何回も繰り返して言い、「アメリカのお母さんたちよ、安心してくれ。あなたがたの息子をヨー ロッパの戦争に送ることは絶対あり得ない」と言って、堂々と嘘をついて、大統領選を勝ち抜いたのです。
実際は、彼の腹の中では参戦を固めていたわけですが、選挙では本音を隠し続けたということです。
というのも、当時のアメリカでは8割ぐらいの人は、ヨーロッパで始まった戦争に、アメリカが参戦するべきではないと思っていたからです。
第一次世界大戦のときにはアメリカは途中から参戦したのですが、大変悲惨だったという経験がありました。今度のヨーロッパで始まった戦争にアメリカは巻き込まれないほうがいい、アメリカン・ボーイズがヨーロッパの戦争で死ぬ理由はないのだという思いの人たちが、圧倒的多数を占めていました。厭戦気分が非常に強かったのです。
アメリカは、 年にイギリスなど連合国への武器貸与を認める武器貸与法を制定していたので、イギリス、ソ連などに大量の軍事援助の物資を出していました(実はアメリカはそれまで、孤立主義と国益優先の立場から、「中立法」により、交戦中の国 への武器輸出を禁止していました。チャーチルからの要請を受けて、ルーズベルトが武器貸与法を制定させたのです)。そこまではやってもいいが、アメリカが自ら兵隊を出して戦う必要はない、というのが多くのアメリカ人の常識でした。
ドイツがアメリカまで攻めてくる恐れがあるなら、話は別かもしれません。しかし、ドイツ海軍が太平洋を越えてアメリカに攻めてくるなんてあり得ないわけです。
アメリカで確信的な中立論を唱える人は、ドイツ系移民の人ばかりではありませんでした。アメリカ中西部に広く住んでいる北欧系の人たちも、故国がドイツと地理的に近いので戦争をしたくないという思いが強かったようです。ちなみに、アメリカ中立論を主張した有名人には、大西洋単独無着陸横断飛行を成し遂げたチャールズ・リンドバーグがいますが、彼は祖父がスエーデンからの移民でした。
アメリカの第二次大戦への参戦を阻止する目的で、 年に結成された組織であるアメリカ第一委員会(America First Committee)にリンドバーグは主要なスポークスマンとして加わり、各地で講演を行うなどしています。
アジアもヨーロッパもいろいろあって大変なのかもしれないが、アメリカはアメリカなのだという意味での中立主義、孤立主義の運動が、大きな力を持っていたのです。 ちなみにこの「アメリカ第一(America First)」という言葉は、トランプ大統領の言葉として蘇ります。
かくして、アメリカは開戦に踏み切った
国内の世論が孤立主義ですから、ルーズベルトだって簡単に戦争を始めるわけにはいきません。それで、当初はドイツを挑発しようと手を尽くすのですが、ヒトラーも頭がいいので、なかなかそれに乗ろうとはしません。
それなら日独伊三国同盟を悪用しよう、まぁ、逆用すればいいということですね。何とか日本から先に一発目を打たせるように仕向けて、それでアメリカが第二次大戦になだれ込めばいいという計画を立てるわけです。結果から言うと、これがものの見事に成功してしまうのです。
続きは明日配信します。お楽しみに。
PS.
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